2023年9月– date –
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八王の乱と呼ばれているが、重要なのは八人の王じゃない
以下に概要を示す。いちおう八王とされる者たちに番号を付すが、重要でないプレーヤーが含まれる。一方で、乱の行方を左右した王でない者達が居る。 第一段階 賈南風政権 ・皇后の賈南風が皇太后一族の楊氏を排除した上で、汝南王司馬亮①・衛瓘を政権に参画させた ・楚王司馬瑋②は司馬亮・衛瓘を殺し、直後に賈南風が司馬瑋を殺した(権力闘争に明け暮れた賈南風だったが、賢臣の張華・裴頠などを任用し国政は安定していた) 第二段階 諸王による朝政の壟断(首都洛陽の求心力はある程度維持) ・続いて賈南風は... -
江南の安全保障における荊州の役割
長江を跨いで江南の建業・建康を攻略するのは、大変な難事業である。歴史上でも、曹操・曹丕・曹休・司馬師・苻堅など攻略に失敗した英雄達を多数挙げられる。(唯一成功したのが宇宙大将軍こと侯景。何かとネタにされがちな人物だが、その突破力は本物。高歓ほどの英雄が危険視したのも納得である。)江南攻略の鉄板は、荊州方面から長江を攻め下るルートで、蜀の豊富な木材を造船に用いることができれば盤石となる。西晋も隋もこのルートからの攻略であった。 江南と荊州の関係を踏まえた上で注目しておきたい事... -
お人好し司馬昭が類を見ないほどの野心家扱いされている件
私が三国時代で最も好きな人物は司馬昭である。 後世では奸臣の代表格とされ、野心を秘めた謀略の気配があるたびに「司馬昭の心」とか持ち出されてしまう彼だが、史実を紐解けば時勢や周囲に振り回されたお人好しの姿が浮かび上がってくる。 父と兄が自分に無断でクーデターの計画を練っていた件 曹爽に対するクーデターである高平陵の変において、司馬懿と司馬師はかねてから計画を練っていたが、司馬昭は前夜まで知らされておらず、計画を知った司馬昭の落ち着かない様子を司馬懿が人を遣って観察した、と晋書で... -
西晋末以降の概要は長安と鄴の綱引きで説明できる
前回の投稿で、中華において最も豊かな中原(河南省付近)と最も軍事的に優れた北方について、そして両者の結節点である渭水盆地(関中、陝西省付近)と河北エリア(河北省付近)の優位性について説明した。渭水盆地を代表する都市が長安であり、河北エリアを代表する都市が鄴である。乱世において、この2都市は中原の象徴である洛陽を上回る存在感を示した。西晋末、五胡十六国、南北朝は混沌として敬遠されがちだが、長安と鄴をどの勢力が支配し、どちらが優勢かで概ね理解できる。 長安 鄴司馬... -
中国史のダイナミズムを理解する上で地理的背景は欠かせない
歴代中国王朝の首都として有名な洛陽と長安。併記されることも多いが、両者の有する機能は大きく異なった。端的に言えば、洛陽が商都であったのに対し、長安は軍都であったのだ。 中国史におけるダイナミズムの原点は、最も豊かな土地と最も軍事的に優れた土地が異なるということに尽きる。 最も豊かな土地とは、中原であった。中原とは、黄河中下流の南方に広がる平原で、現在の河南省付近を指す。中原は黄河文明の黎明地であった。黄河を利用した灌漑農業の余剰生産力により、生命維持に関わらない領域にリソー... -
爾朱栄集団というオールスターチーム
六鎮の乱 華北を統一し五胡十六国を終わらせた北魏は、北方の異民族である鮮卑拓跋部という部族を中心とした国家である。根拠地が北方であったこともあり、華北統一時点での首都は中華でも北方にあたる平城(山西省大同市)という都市だった。その北魏がさらに北方にいる異民族(柔然や高車)の脅威に備えて、配置した防衛機関を鎮という(馬の機動力を削ぐ土木工事でなく人で防御するという発想に北方民族らしさを感じる)。それらの鎮のうちで最も有力であった6つ(沃野鎮、柔玄鎮、懐朔鎮、武川鎮、撫冥鎮、懐...
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