2023年12月– date –
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夏侯惇はなぜ重用されたか
三国志演義から正史に入ると、多くの人が両者に横たわる夏侯惇像の差に注目する。三国志演義では曹操陣営を代表する猛将であるのに対し、正史だととてもそうは思えないのだ。兗州を奪おうとした呂布に抵抗を試みたものの捕虜となる、呂布陣営から攻撃を受ける劉備を救援しようとして高順に敗北、劉表傘下時代の劉備に博望坡(現在の河南省南陽市)で敗北と、夏侯惇の軍功は今一つパッとしない。しかしながら、曹操は不動のNo.2というかほぼ同格の存在として夏侯惇を遇し、曹丕も武官の頂点である大将軍という地位... -
侯景 南北朝時代を彩ったトリックスター
侯景の出身は定かでない。北魏において爾朱栄の部下として頭角を現し、その後は高歓の下で重んじられた。しかしながら、高歓は自分の死後に侯景が息子らに従わないことを予想し、警戒していた。高歓死後、長男の高澄と対立した侯景は南朝梁と結ぼうとした。戦上手で知られる侯景の謀反は大変な脅威であったが、高歓が対侯景の切り札として用意していた名将慕容紹宗の参戦により、侯景は敗れた。 侯景は梁を頼ろうとしたが、おりしも梁の皇族が東魏の捕虜となっており、身柄交換の対象となる可能性があった。身の危...
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