2024年1月– date –
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南朝創業紀 その4 陳覇先の陳
陳覇先は、潁川陳氏(現在の河南省許昌市を本貫地とする名門、陳寔・陳紀・陳羣・陳泰などを輩出)の末裔を自称したが、劉裕・蕭道成・蕭衍と違って寒門(中下級官僚や将軍を輩出した家柄)ですらない、土豪の出身であった。 地方の小役人・建康の油倉庫番からキャリアをスタートした陳覇先だが、その能力を認められ、最終的に広州(現在の広東省付近)の軍権を掌握した。交州(現在のベトナム北部)土着の李賁が挙兵したが、陳覇先はこれを討ち、梁南部において威望を高めた。 侯景の乱が起こった時、陳覇先は周... -
南朝創業紀 その3 蕭衍の梁
蕭衍の父である蕭順之は、南朝斉を創建した高帝蕭道成の族弟(一族の年少者)であった。蕭道成・蕭順之をさかのぼると、共通の祖先として高祖父(祖父の祖父、4世代前)の蕭整で結びつくとのことである。 蕭道成の孫である蕭子良は、南朝斉を代表する文人であり、儒学・老荘・仏教の全てに通じていた。蕭衍は蕭子良サロンの著名人「竟陵八友」に名を連ね、文化的中心を担った。 時代は下って、その後暴君とされる皇帝蕭宝巻(東昏侯)が、蕭衍の兄である蕭懿を殺した。これにより決起した蕭衍は蕭宝巻を殺害し、代... -
南朝創業紀 その2 蕭道成の斉
蕭道成は西漢(前漢)の名臣である蕭何の末裔を自称していたが、寒門としてのキャリアを辿っている。 蕭道成に出世への道を開いた要素は2つある、一つは北魏相手の武勲である。竟陵(旧江夏郡 現在の湖北省中部)で北魏を攻撃して勝利、襄陽防衛と樊城攻撃で成果、関中(現在の陝西省)への侵攻など、蕭道成は北魏相手に見事な戦績を誇った。劉義隆(劉宋の文帝)による北伐への反攻として、西暦450年に拓跋燾(北魏の太武帝)が親征し、淮水周囲で簫道成と衝突した。蕭道成といえど流石に拓跋燾相手では不利な戦... -
南朝創業紀 その1 劉裕の宋
劉裕の出自に関する記載は魏書(北朝の正史)と宋書(南朝の正史)で異なる。少なくとも名門の生まれではなかった。東晋を揺るがした孫恩の乱(五斗米道という道教勢力を中心に起こった乱)において、東晋の二大軍事組織の一方、北府軍を率いる劉牢之の部下として反乱軍に対して大暴れし、武名を轟かせた劉裕は将軍として名を連ね大いに出世した。 その後、二大軍事組織のもう一方、西府軍を統括する桓玄(桓温の息子)が政権を主導するようになった。上司の劉牢之は当初桓玄に付いたが、やがて後悔するようになり...
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