2024年2月– date –
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巴と蜀 重慶と成都
四川(*)の地のことをしばしば巴蜀という。春秋戦国の頃、四川の地に巴の国と蜀の国があったことに由来する。蜀が成都を中心とするエリアなのは三国志などで比較的理解しやすいが、では巴とは何なのかと言われると少し考え込むかもしれない。巴とは重慶を中心とするエリアを指す。現在でも重慶と成都は四川を代表する二大都市として知られる。成都は四川省の省都であるし、重慶は中央政府による直轄市(他に北京・上海・天津 人口は重慶が最多だが面積も圧倒的に広い)である。 *ちなみに四川とは長江支流の4... -
京兆韋氏 南北両朝で最高峰の武将を輩出した名家
京兆韋氏とは、京兆郡杜陵県(現在の陝西省西安市)を本貫地とする氏族である。西漢(前漢)の丞相(非常設の宰相職)を輩出するなど、名門として古くから知られていたが、南北朝時代ではそれ以上に存在感のある名将を2人輩出した。韋叡と韋考寛である。そして、韋叡が南朝所属であるのに対し、韋考寛は北朝と、南北両朝で存在感を示した点も興味深い。 韋叡京兆を本貫地とする韋叡が南朝に属した理由は、劉裕が北伐で長安(京兆郡に属する)を奪取したことにある。劉裕は建康に帰還した隙を突かれて赫連勃勃に長... -
魏晋南北朝の名包囲 その3 拓跋珪 柴壁の戦い
都市や城塞に対する包囲(siege)は歴史上何度も行われているが、外部からの救援勢力によって難易度が一変する。 このシリーズでは、魏晋南北朝でそういった高度な包囲戦を成功させた名将達の采配を振り返る。3回目は北魏の拓跋珪による柴壁の戦いを取り上げる。北魏と後秦の盛衰を分けた戦いとして有名だが、合戦の詳細を調べると非常に面白い。 西暦402年5月、後秦の姚興は北魏の河東エリアに攻撃を仕掛けた。局地戦になることを想定したのか、姚緒・姚碩徳といった歴戦の叔父達や自身は出馬せず、弟の姚平に兵4... -
魏晋南北朝の名包囲 その2 陸抗 西陵の戦い(歩闡の乱)
都市や城塞に対する包囲(siege)は歴史上何度も行われているが、外部からの救援勢力によって難易度が一変する。 このシリーズでは、魏晋南北朝でそういった高度な包囲戦を成功させた名将達の采配を振り返る。2回目は陸抗による西陵の戦いを取り上げる。三国志を代表する見事な包囲戦なのだが、三国時代の後期ということもあり、今一つマイナーな感は否めない。 呉の皇帝孫晧は、西陵(かつての夷陵を改名 現在の湖北省宜昌市)に駐屯する歩闡を都へ召還しようとした。残念ながら暴君とされた孫晧の為人・実績の... -
魏晋南北朝の名包囲 その1 司馬昭 諸葛誕の乱
都市や城塞に対する包囲(siege)は歴史上何度も行われているが、外部からの救援勢力によって難易度が一変する。 このシリーズでは、魏晋南北朝でそういった高度な包囲戦を成功させた名将達の采配を振り返る。1回目は司馬昭による諸葛誕の乱を取り上げる。司馬氏に対する淮南三叛の3番目という政治的な意味合いから評価されることが多いけれども、内容的に非常に面白い戦いで、司馬昭は将帥として凄まじいと実感できる名包囲である。 都督として揚州の軍権を掌握していた諸葛誕は、司馬氏でなく曹氏への忠誠を明確...
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