2025年– date –
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孫権の皇帝即位には道理がある
孫権の皇帝即位になんの根拠も無いとする見解をしばしば見かけるため、記事を書くことにした。陳寿はなぜ「魏志」や「魏蜀志」でなく「三国志」にしたのか、その意図を読み取れていないからだ。田中靖彦「陳寿の処世と『三国志』」をまず読んでほしい。 221年、皇帝に即位したばかりの曹丕は、臣従していた孫権に対し、気前よく九錫(皇帝と同等の待遇を意味する9つの特典)を与えた。この時点で九錫を受けた前例は王莽と曹操しかない、この点が極めて重要である。劉氏による両漢王朝は約400年の歴史を持つ。曹魏... -
曹操にとって、劉備はどれほど重要な存在だったか
曹操から見た劉備にフォーカスし、三国志を引用しながら適当に放論してみる。 ・布請曰「明公所患不過於布、今已服矣、天下不足憂。明公将步、令布将騎、則天下不足定也」太祖有疑色。劉備進曰「明公不見布之事丁建陽及董太師乎」太祖頷之(呂布伝)曹操が歩兵を率いて、呂布が騎兵を率いる。降伏した呂布による提案は、人材マニアの曹操から見て大変魅力的だった。曹操が得意とした兵科は歩兵だった。孫子は曹操の愛読書として知られるが、軍の運用については歩兵ベースで議論されている。并州五原郡九原県(内モ... -
褚蒜子と司馬昱 東晋の前期と中期を結ぶミッシングリンク
金民壽 「桓温から謝安に至る東晋中期の政治」を読んだことが、記事作成のきっかけとなった。東晋中期の政治は未発掘の部分が多いと感じる。そして、だからこそ挑戦しがいのあるテーマだとも思う。 東晋を代表する名族として、琅邪王氏と陳郡謝氏の2氏族がよく挙げられる。しかしながら、これは東晋をより高い解像度で理解する妨げとなる。東晋の前期を主導したのは琅邪王氏と潁川庾氏であり、東晋中期の主役は譙郡桓氏と陳郡謝氏だからである。前述の2氏族のみにフォーカスすることは、東晋の実像を歪めることに... -
秦嶺淮河線 中華の分水嶺
秦嶺淮河線とは、中華における年間降水量1000mmのラインを指す。これがちょうど秦嶺山脈と淮水(黄河以外を河と表記することは個人的に抵抗がある)を結ぶ線に一致することからそう呼ばれる。中国語読みを踏まえてチンリン・ホワイ線と表記することもある。ちなみに英語表記はQinling-Huaihe Lineである。北緯にするとおよそ33度に相当する。 秦嶺淮河線の北側では気候が乾燥した寡雨地帯であるのに対し、南側は適雨ないし多雨の国土が拡がっている。また、この線の北では1月の平均気温が氷点下となり、しばしば川...
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