2025年6月– date –
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洛神賦 曹植が詠んだ女神との悲恋
洛神賦は西暦223年(一説には222年)に三国魏の曹植が詠んだ賦である。 文選収載ということで自宅にあった岩波の「文選・詩篇」を当たってみたが収載されていなかった。賦は厳密な意味での詩と区別されている。詩は「詩経」を起源とし、賦は「楚辞」を起源とする。孫久富 「賦と長歌の比較」によると、賦は散文と詩歌の2つの特徴を併せ持つ韻文と大まかに分類されるが、詩と比較した賦の特徴として次のようなものが挙がる。 ・韻律の定まらない傾向がある・句数など形式の多様性が認められる・長文となる傾向があ... -
西晋はいかにして匈奴漢の前に滅び去ったか (長文の資治通鑑抄訳)
西晋と匈奴漢との戦役を資治通鑑で追ってみることにした。当初の動機は、八王の乱を制した司馬越が匈奴漢の脅威にどう対処したのか確認してみたくなったからだが、果たして。長文すぎて通読が厳しい記事になっている。年は西暦だが、月は旧歴とする。 資治通鑑抄訳 304年8月~316年11月 304年8月、かつて皇太弟の司馬穎は上表し、匈奴の左賢王である劉淵を冠軍将軍・監五部軍事(曹操が南匈奴を左・右・南・北・中の五部に分けた)に抜擢し、兵とともに鄴(河北省邯鄲市臨漳県の周辺)に駐屯させていた。劉淵の子...
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