山東半島が南朝劉宋に属している地図をよく見る。これは劉裕による南燕征服の成果を反映したものである。ところが、斉や梁の頃になると山東半島は北魏の版図となっている。西暦450年における拓跋燾南伐の影響と考えていたが、実際には慕容白曜の業績だったことを最近知った。資治通鑑において、慕容白曜に関する記事は巻132(467-470年)に集中しているため、読んでみることにした。年は西暦だが、月は旧歴に従う。 事前知識として、当時の背景を簡単に説明する。464年、劉駿(宋の孝武帝)に代わる皇帝として長男...