陰と陽の字を含む地名がしばしばみられる。
日本では山陽・山陰が最も馴染み深いだろう。ご存知の通り中国山地の南が山陽であり、北が山陰となっている。
これを敷衍して陽=南、陰=北と一般化しているケースがあるようで、その場合中国の地理を読み解く上で不都合を生じる。
川の場合、山とは逆に陽=北、陰=南となるからである。これは実際の地形をイメージすると分かりやすいように思う。
山山山山山山山山山山 北
山山山山山山山山山山
可住地①
川川川川川川川川川川
川川川川川川川川川川
可住地②
山山山山山山山山山山
山山山山山山山山山山 南
このような地形を想定すると、山や斜面に遮られて日照を受けにくい可住地②が陰で、日照を受けやすい可住地①が陽であると、すんなり理解できる。
洛水(黄河支流の1つ)の北だから洛陽(河南省洛陽市)、襄水(漢水の別名、漢中盆地から長江に注ぐ)の北だから襄陽(湖北省襄陽市)なのである。
魏晋南北朝において、陰と陽の扱いを間違えると解釈が大きく変わるのは北魏で起こった河陰の変である。
爾朱栄のいる山西から北魏の首都洛陽に向かう際、主要な障壁となるのは太行山脈と黄河である。太行山脈は既に突破され、黄河も突破されつつあった。追い込まれた北魏の霊太后胡氏らは爾朱栄に白旗をあげたが、爾朱栄は主要な者達を河陰に呼びつけた上で誅殺した。
ここで河陰を黄河の北と読むと、北魏首脳部の切迫感が希薄化してしまう。
(爾朱栄が自分の土俵である川北に無理やり呼びつけた、というのもそれはそれで楽しそうだが)
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