総論– category –
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西晋末以降の概要は長安と鄴の綱引きで説明できる
前回の投稿で、中華において最も豊かな中原(河南省付近)と最も軍事的に優れた北方について、そして両者の結節点である渭水盆地(関中、陝西省付近)と河北エリア(河北省付近)の優位性について説明した。渭水盆地を代表する都市が長安であり、河北エリアを代表する都市が鄴である。乱世において、この2都市は中原の象徴である洛陽を上回る存在感を示した。西晋末、五胡十六国、南北朝は混沌として敬遠されがちだが、長安と鄴をどの勢力が支配し、どちらが優勢かで概ね理解できる。 長安 鄴司馬... -
中国史のダイナミズムを理解する上で地理的背景は欠かせない
歴代中国王朝の首都として有名な洛陽と長安。併記されることも多いが、両者の有する機能は大きく異なった。端的に言えば、洛陽が商都であったのに対し、長安は軍都であったのだ。 中国史におけるダイナミズムの原点は、最も豊かな土地と最も軍事的に優れた土地が異なるということに尽きる。 最も豊かな土地とは、中原であった。中原とは、黄河中下流の南方に広がる平原で、現在の河南省付近を指す。中原は黄河文明の黎明地であった。黄河を利用した灌漑農業の余剰生産力により、生命維持に関わらない領域にリソー... -
後漢から西晋まで、その根底にあるもの
後漢(*)から曹魏、曹魏から西晋に至る王朝交代には、歴史的必然性があった。その背景について概説する。 *五代十国の後漢と区別するため、このブログにおいて前漢・後漢ではなく、西漢・東漢と表記する 長期政権となった東漢だが、外戚の専断に対するカウンターとして皇帝権の強化を目指した、宦官の跋扈はその結果である。また、行財政改革目的もあったようだが、売官・汚職などが横行するようになっていた。そして、こうした風潮を正そうとした清流派官僚は党錮の禁により弾圧された。 そのため、東漢政府は...
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