六鎮の乱
華北を統一し五胡十六国を終わらせた北魏は、北方の異民族である鮮卑拓跋部という部族を中心とした国家である。根拠地が北方であったこともあり、華北統一時点での首都は中華でも北方にあたる平城(山西省大同市)という都市だった。
その北魏がさらに北方にいる異民族(柔然や高車)の脅威に備えて、配置した防衛機関を鎮という(馬の機動力を削ぐ土木工事でなく人で防御するという発想に北方民族らしさを感じる)。それらの鎮のうちで最も有力であった6つ(沃野鎮、柔玄鎮、懐朔鎮、武川鎮、撫冥鎮、懐荒鎮)を総称して六鎮と呼ぶ。
当初は首都防衛の要として重視され、名声・実力の高い者達を配置していた。ところが、北魏は漢化の結果として洛陽に遷都し、六鎮は辺境防衛として次第に冷遇されるようになった。不満を抱いた六鎮の者達は北魏に対して反乱を起こした。それが北魏を揺るがす大事件、六鎮の乱であった。
乱を終息させた爾朱栄の下に英雄達が集う
六鎮の乱はやがて鎮圧されたが、その立役者が爾朱栄である。彼は六鎮の有力者と中央政府との結節点でもあり、多くの部下を抱えた。メジャーなところだけでも以下の通りの豪華さである。
高歓 :北魏の東西分裂の立役者であり、北斉の基礎を作った
侯景 :南朝梁の首都建康を攻め落とし、漢の皇帝を名乗った
慕容紹宗:高歓が侯景の裏切りに備えて用意した切り札 前燕の名宰相である慕容恪の末裔とされる
斛律金 :息子の斛律光・斛律羨と並んで北斉を代表する名将
賀抜岳 :爾朱栄の右腕として活躍、当初武川鎮軍閥を率いたが暗殺された
宇文泰 :賀抜岳のあと武川鎮軍閥を率いた 北魏の東西分裂の立役者であり、北周の基礎を作った
(楊忠 :後の統一王朝である隋の祖先 爾朱栄の下には居なかったが武川鎮軍閥に所属)
李虎 :後の統一王朝である唐の祖先 武川鎮軍閥に所属
独狐信 :宇文氏・楊氏・李氏の全てと通婚、娘達の波乱の人生が近年ドラマ化 武川鎮軍閥に所属
爾朱栄集団から派生した武川鎮軍閥(関隴集団ともいう)は、後の北周・隋・唐の支配層を輩出しており、しばしば注目されているが、メンバーとしては爾朱栄集団の方が豪華な印象を持っている。
北魏の分裂・梁の滅亡・北斉北周の創立・隋唐による中華統一など、南北朝時代から唐に至るまでの動きの大部分が爾朱栄集団とその末裔によるのであった。まさに時代を支配したオールスターチームと言えよう。
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