五胡十六国ドリームマッチ その2 石勒 VS 祖逖

石勒の紹介はその1でやったので省略。奴隷から身を立てて、五胡十六国序盤に華北をほぼ掌握した大英雄。

祖逖の紹介
祖逖は幽州范陽郡の名族出身で、最初は書物を軽視して武侠に勤しむなど将来を危惧されたが、その後は学問に精励し、中央政界でも期待の若手として将来を嘱望された。
しかしながら、西晋は混乱期を迎え祖逖が活躍するための舞台を用意できなかった。祖逖は江南の可能性をいち早く見出し、司馬睿の下に属した。
覇気盛んな祖逖は、晋としての本領を取り戻すべく北伐軍を起こすよう申請したが、東晋としては江南の掌握で精一杯、ろくな支援を提供できなかった。そのような状況であるにもかかわらず、祖逖の北伐は長江北岸から淮水を超え、黄河南岸まで達した。
五胡十六国から南北朝に至るまで基本的に軍事面は北側優位であり、北伐で大きく領土を得られた南側の将は稀である。祖逖の他には桓温・劉裕・陳慶之あたり、何れも時代を代表する名将である。そして、祖逖が上記の者達と異なる点は、押し返した相手が石勒という超大物であるということにある。桓温は慕容垂・慕容徳に、陳慶之は爾朱栄に撃退されているし、劉裕は赫連勃勃に長安を奪われている(劉裕が直接敗北したわけではないが)。

両者の衝突
祖逖は豫州譙郡(現在の河南省東部から安徽省北部にかけてのエリア)の攻略に当たって在地の豪族陳川の協力を得たが、祖逖になびく部下が出たことから、陳川は祖逖と対立するようになり、やがて石勒陣営に転じた。石虎は兵5万で陳川の救援に向かった。

この後の祖逖VS石虎の結果は、史学上のちょっとした謎である。
晋書祖逖伝では、祖逖の勝利と書いてあり、その記載のままで理解している人が多い。
それに対して晋書元帝紀では、石虎と祖逖の戦闘が2回あったと記している。先の譙における戦闘は祖逖の勝利、後の浚儀(河南省開封市)における戦闘では石虎の勝利とある。陳川救援は後者の浚儀戦に相当すると考えられている。晋書石勒載記上では勝敗を書いていないが、祖逖が後方に退いたと伝える。資治通鑑では元帝紀の浚儀戦の記載を採用し、石虎の勝利としている。
史料のウエイトからすると石虎の勝利と解釈するのが自然だが、後趙が簡単に勝てたのなら、後で取り上げる石勒のへりくだった対応を説明できない。

現在、私自身が考えているシナリオは2つ。
1.局地戦で祖逖が勝勢だったものの、消耗著しく勢力の立て直しを要したため、南方に一度引き返した。
2.石虎は祖逖を撃退したが、一時凌ぎにしかならなかった。石虎という最強のカードを南東の戦線に貼り付けるリスクと兵員・戦費その他リソースの消耗に見合わないと以後の石勒は判断した。

ちなみに、石勒配下時代の石虎は後趙で最強の将軍であり、史料に残る限りで敗北したケースは他に対劉曜戦しかない。
晋書祖逖伝によると、石虎相手の戦勝後も北進する祖逖に対し、石勒は精鋭騎兵1万を差し向けたが再び敗北した。

石勒は南方から放たれた勁矢である祖逖に対し、直接対峙せず宥和策を取った。幽州にある祖氏の墳墓を修繕したり、祖逖からの降将を斬首して送り返したり、外交手段で祖逖からの圧力を緩和しようとした。
この背景について、当時石勒は劉曜との戦いに注力していたことが大きい。仮に祖逖と事を構えて2正面作戦をとっていたなら、後趙はのちの前燕や北斉と同じ命運を辿っていた可能性がある。

対決の終わり
祖逖にとっての不幸は、北伐事業の足を引っ張る東晋朝廷と自らの寿命だった。
祖逖の北伐をろくに支援しなかった東晋だが、成果を挙げたところで、中央から上役となる都督を派遣しようとした。また、王敦らによる内乱の気配もあった。祖逖は自分の北伐事業が頓挫することを大層心配したようである。
そのような掣肘の中でも、祖逖は河北への侵攻機会を伺っていたが、実行しないうちにその生涯を終えたのだった。
祖逖の軍は弟の祖約に引き継がれた。祖約の将器は祖逖に遠く及ばず、また相次ぐ東晋の内乱により北伐どころではなくなった。祖約は王敦の乱にて鎮圧側として活躍したが、続く蘇峻の乱にて反乱側の旗頭となった。乱の失敗後は後趙に亡命したものの、結局石勒に殺された。

劉曜のケースと違い、石勒が直接祖逖と対峙することはなかった。しかしながら、後趙で最強の将軍とされた石虎を投入しても一時凌ぎにしかならず、北族の誰も祖逖の北進を止められなかった。
北族に対して騎兵戦力で劣り、文弱と評価されがちな南側にあって、これほどの軍功を立てられた人物は稀である。というより、北族相手に自分から仕掛けて跳ね返されなかったのは他に劉裕くらいしかいない。劉裕同様、中央政界を気にせず本領を発揮できていたなら、もう少し寿命があったなら、というのは漢族・南側贔屓なら誰もが考えるイフだろう。
これほどエポックメイキングな北伐事業を行った祖逖だが、日本での知名度はかなり低い印象を持っている。五胡十六国を代表する英雄である石勒を相手に大いに武威を示した祖逖、彼の凄みを今一度確認した次第である。

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