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前燕征服時に見られた前秦崩壊の兆し
郝晷と梁琛前燕からの使者として、郝晷と梁琛が相次いで前秦に行った。郝晷は燕を見限ってその内情を詳しく話したが、梁琛は慕容評と慕容垂が偉いと当時の共通認識を述べただけで、自国のウィークポイントを決して洩らさなかった。燕帰国後の梁琛は、苻堅と王猛が人傑であることを主張し、秦による侵攻の可能性を警告したが、朝廷から疎まれ、逆に投獄されてしまった。燕滅亡後に梁琛と対面した苻堅は、「燕国の危機の兆しを見極めず、燕国の善良さを偽って主張し、忠誠心が身を守るどころか、かえって災いを招い... -
五胡十六国ドリームマッチ その4 慕容垂 VS 桓温
慕容垂の紹介慕容垂は前燕の初代王慕容皝の5男で、当初慕容覇と名乗っていたが、落馬して歯が折れたことから慕容缺、その後慕容垂に改名させられた(改名させたのは兄慕容儁、かつて慕容垂は前燕の太子候補であり、慕容儁との確執があった)。高句麗・宇文部・冉魏など各戦線に従軍したあと、前燕の洛陽奪取にも貢献した。五胡十六国を代表する名将・名宰相の慕容恪が軍務・政務ともに自分の10倍の才を持つと評価した慕容垂だったが、慕容儁とその子慕容暐からは冷遇され、慕容恪死後に前燕での居場所を失いつつあっ... -
五胡十六国ドリームマッチ その3 冉閔 VS 慕容恪
冉閔の紹介冉閔の父は漢民族出身だったが、後趙でその武勇を買われ石虎の養子となった(羯族石氏は優れた能力を持つ者を同族に迎える風習があったようなのだ)。当初の冉閔の名は石閔であったが、父と同様武勇に優れ、石虎に愛された。冉閔の必殺技として史書に記されているのが、馬に騎乗したまま右手に矛、左手に戟を持ち、風のように駆け抜けながら敵を斬り倒していくというもの。片手で敵を屠る膂力、下半身だけで騎乗し続ける脚力・平衡感覚・操馬スキル、全てが人間離れしている。漢族でありながら胡族顔負... -
慕容恪 胡漢融合を一人で体現した名将かつ名宰相
五胡十六国、南北朝から隋唐に至るまで、キーワードは胡漢融合である。つまり、胡人の武力・習俗と漢人の生産力・統治機構をどう結び付けるか、そのトライアンドエラーの歴史であった。前趙の石勒と張賓、前秦の苻堅と王猛、北魏の拓跋燾(太武帝)と崔浩など、華北の大国には胡人君主と漢人宰相の組み合わせがしばしば出現しており、胡漢のバランシングがいかに国家の命運を左右したかを窺い知ることができる。そんな中、一人で胡漢融合を体現した英雄が居り、それが胡人の父と漢人の母を持つハーフ、前燕の慕容...
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