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曹操にとって、劉備はどれほど重要な存在だったか
曹操から見た劉備にフォーカスし、三国志を引用しながら適当に放論してみる。 ・布請曰「明公所患不過於布、今已服矣、天下不足憂。明公将步、令布将騎、則天下不足定也」太祖有疑色。劉備進曰「明公不見布之事丁建陽及董太師乎」太祖頷之(呂布伝)曹操が歩兵を率いて、呂布が騎兵を率いる。降伏した呂布による提案は、人材マニアの曹操から見て大変魅力的だった。曹操が得意とした兵科は歩兵だった。孫子は曹操の愛読書として知られるが、軍の運用については歩兵ベースで議論されている。并州五原郡九原県(内モ... -
劉備は袁紹の天下に半生を捧げている
それまで盧植門下の兄弟子公孫瓚の下で働いていた劉備だが、陶謙死後の徐州牧就任を機に、公孫瓚の宿敵、袁紹に臣従した。前回の投稿で師匠の盧植が袁紹の軍師であったことを理由として述べたが、陶謙と袁術の同盟決裂についても触れておきたい。 袁紹が周姓の誰か(史料によって記載が定まらない)を用いて袁術の軍事部門に相当する孫堅を攻撃してから、反董卓連盟(*)は瓦解し、群雄達の関心はポスト董卓の中華指導者となった。 *一般的には、反董卓連合と呼ばれているが、袁紹のポストが盟主である以上、連... -
盧植が劉備に与えたもの
盧植=劉備の師、というイメージで語られることが多く、注目されることは少ない。しかしながら、盧植に師事していたからこそ劉備は世に出られたといっても過言ではない。盧植を師に持ったことによる影響は計り知れないのだ。これから主要なものを挙げていきたい。 与えたものその1 教養 盧植は東漢(後漢:五代のものと区別するため)の大儒である馬融に学び、兄弟弟子である鄭玄に次ぐレベルの、当時最高峰の大儒であった。劉備は学問にことさら熱心とは言えなかったようだが、そんな中でも彼から受けた教えが、...
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