司馬炎– tag –
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魏晋南北朝では、封禅が行われていない
封禅(ほうぜん)とは、中国の帝王が政治上の成功を天地に報告する国家的な祭典である。泰山(山東省泰安市にある標高1,545mの山)の山上に祭壇を作り、天に対してまつりを行う「封」、泰山の麓にある小山を払い清め、地に対してまつりを行う「禅」、この二つの祭祀を組み合わせることで封禅が成立する。伝説上は三皇五帝以来とされるが、史実だと趙政(秦の始皇帝)によって行われたものが最初である。彼の事績からすると、封禅に不死を祈願する性質があったことにも注目すべきであろう。 趙政の創始した仕組みの... -
賈充は羊祜と対立していたのか
賈充は、名臣羊祜の提案した征呉を、自身の権勢の為に押し留めた抵抗勢力・悪臣と評価されている。今回はその評価への修正を試みたい。 羊祜の同母姉である羊徽瑜は司馬師の妻かつ司馬攸の養母である。一方の賈充は司馬攸の舅である。つまり、羊祜と賈充はともに司馬攸の後ろ盾となるべき人物であり、司馬攸を立てるという共通の目的を持っていたはずなのだ。司馬攸が大業を成すには、征呉の功績が決定的に重要である。賈充からすれば、「征呉は結構だが、司馬攸を総大将にする算段が先だ、軍略自慢に溺れて本分を...
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