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秦嶺淮河線 中華の分水嶺
秦嶺淮河線とは、中華における年間降水量1000mmのラインを指す。これがちょうど秦嶺山脈と淮水(黄河以外を河と表記することは個人的に抵抗がある)を結ぶ線に一致することからそう呼ばれる。中国語読みを踏まえてチンリン・ホワイ線と表記することもある。ちなみに英語表記はQinling-Huaihe Lineである。北緯にするとおよそ33度に相当する。 秦嶺淮河線の北側では気候が乾燥した寡雨地帯であるのに対し、南側は適雨ないし多雨の国土が拡がっている。また、この線の北では1月の平均気温が氷点下となり、しばしば川... -
巴と蜀 重慶と成都
四川(*)の地のことをしばしば巴蜀という。春秋戦国の頃、四川の地に巴の国と蜀の国があったことに由来する。蜀が成都を中心とするエリアなのは三国志などで比較的理解しやすいが、では巴とは何なのかと言われると少し考え込むかもしれない。巴とは重慶を中心とするエリアを指す。現在でも重慶と成都は四川を代表する二大都市として知られる。成都は四川省の省都であるし、重慶は中央政府による直轄市(他に北京・上海・天津 人口は重慶が最多だが面積も圧倒的に広い)である。 *ちなみに四川とは長江支流の4... -
河東の重要性 塩の産地であり交通の要衝
渭水合流前に南北に流れている黄河、現在は山西省と陝西省の境界になっている。そこに北東方向から合流するのが太原盆地を流れる黄河支流、汾水である。そして、汾水と黄河に囲まれたエリアが河東エリア(現在の山西省運城市)である。 伝説上の天子の舜は河東エリアの蒲阪に都をおいていたとされる。また、禹が王となり夏王朝を建てたとされる都市が安邑である。その後も安邑は戦国魏の都として栄えた。安邑は北魏による分割後に北部を夏県と改称されている。夏県は北宋の政治家にして資治通鑑の編纂で有名な司馬... -
西晋末以降の概要は長安と鄴の綱引きで説明できる
前回の投稿で、中華において最も豊かな中原(河南省付近)と最も軍事的に優れた北方について、そして両者の結節点である渭水盆地(関中、陝西省付近)と河北エリア(河北省付近)の優位性について説明した。渭水盆地を代表する都市が長安であり、河北エリアを代表する都市が鄴である。乱世において、この2都市は中原の象徴である洛陽を上回る存在感を示した。西晋末、五胡十六国、南北朝は混沌として敬遠されがちだが、長安と鄴をどの勢力が支配し、どちらが優勢かで概ね理解できる。 長安 鄴司馬... -
中国史のダイナミズムを理解する上で地理的背景は欠かせない
歴代中国王朝の首都として有名な洛陽と長安。併記されることも多いが、両者の有する機能は大きく異なった。端的に言えば、洛陽が商都であったのに対し、長安は軍都であったのだ。 中国史におけるダイナミズムの原点は、最も豊かな土地と最も軍事的に優れた土地が異なるということに尽きる。 最も豊かな土地とは、中原であった。中原とは、黄河中下流の南方に広がる平原で、現在の河南省付近を指す。中原は黄河文明の黎明地であった。黄河を利用した灌漑農業の余剰生産力により、生命維持に関わらない領域にリソー...
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