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詳述 二宮の変
二宮の変。中国では二宮之争もしくは南魯党争の名称が一般的なようだ。三国時代に孫呉で起こった宮廷闘争である。多くの人が三国志に無関心となる諸葛亮死後の出来事であり、更にドロドロの内紛なので興味を惹かれる人は少ないようだ。私自身も大まかなところしか知らなかったため、資治通鑑を紐解いてみた。長文である。魏や蜀漢の重大イベントにも興味はあったが、約10年の長丁場なので省略した。呉の戦役についても簡略にとどめた。年は西暦だが、月は旧歴とする。 241年5月、呉の太子である孫登が死んだ。 242... -
孫呉の首都に関する考察
西暦200年、孫策死亡後に勢力を引き継いだ孫権は、当初の本拠地を呉郡呉県(現在の江蘇省蘇州市)とした。ここで注目すべきは呉の四姓である。顧氏・陸氏は呉県を本貫地とする氏族である。朱氏・張氏は候補が複数あるのだが、両方に呉県を本貫地とする氏族が居る。孫氏は呉郡富春県(浙江省杭州市富陽区)出身であるが、孫堅・孫策は北方を転戦しており、孫策は陸氏の長老である陸康と対立する有様であった。孫策までと違い、呉県に根を下ろした孫権の姿勢は注目しておくべきだろう。 208年、黄祖を討伐し、揚州南...
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