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英雄達に抵抗した氐族苻氏 後編 姚萇と苻登
淝水の戦いで前秦が崩壊した後、華北を牽引したのは慕容垂と姚萇である。だが、彼ら2人の前には氐族苻氏が立ちふさがった。五胡を代表する英雄達を前に、華北の主導権を失った苻氏はどのように抵抗したのだろうか。資治通鑑で時系列を追ってみることにした。後編は姚萇に対する苻登の抵抗を取り上げる。前秦・後秦に関わる記述を主に抜粋したが、東晋・北魏・後燕など天下の趨勢に関わる記述も適宜取り上げている。長文となった。年は西暦に置き換えたが、月は旧暦のままとする。 386年10月、前秦の南安王である苻... -
同盟関係から読み解く五胡十六国後期
五胡十六国後期は国の興亡が一層複雑になり、なかなか理解しにくいが、国同士の同盟関係を把握することで幾分わかりやすくなる印象を持っている。 後秦・南燕・譙蜀(後蜀)アライアンス VS 劉裕楚を名乗って東晋から禅譲を受けた桓玄だったが、劉裕によって建康の主導権を失った。その後桓玄は西に向かって再起を図った。やがて桓玄は殺されたのだが、荊州における桓氏の抵抗は続いた。この背景として、桓氏が荊州の西府軍を代々掌握していたことは重要である。東晋から蜀に向けて荊州の桓氏討伐の命があったが... -
姚弋仲 その2 その子供たち
後趙で相次いだ皇太子の反逆に対して、姚弋仲が石虎に呈した厳しい直言をその1で取り上げた。では、姚弋仲自身の子育てはどうだったのか。子供たちの生き様を振り返ってみる。 姚襄姚弋仲の第5子。立派な体躯と文武両道により、誰もが姚弋仲の後継者として認める存在だったが、姚弋仲はなかなか承知しなかった。冉閔が後趙に反逆したとき、姚襄に石祇を救援させたが、その際「お前の才能は冉閔の十倍だ、首を取るか捕獲するまでは戻ってくるな」と言った。姚襄が冉閔に大勝して帰ってきたが、姚弋仲は身柄を確保で... -
姚弋仲 その1 石虎への直言
石虎への直言五胡十六国時代において後秦の基礎を築いた姚弋仲、彼に関して大好きなエピソードがある。梁犢が反乱を起こし、その勢いを恐れた後趙の石虎は、首都の鄴に姚弋仲を招集した。石虎は重病で面会できなかったので、飲食を与えて労おうとした。それに対して姚弋仲は怒り、「私は賊を討つために来たのであって、食事をねだりに来たのではない、主上の容態がわからない、一目でも会わせてもらえるなら死んでも恨まない」と言った。左右の者は姚弋仲を石虎に引見させた。そこで姚弋仲は石虎に言った、「子供... -
魏晋南北朝の名包囲 その3 拓跋珪 柴壁の戦い
都市や城塞に対する包囲(siege)は歴史上何度も行われているが、外部からの救援勢力によって難易度が一変する。 このシリーズでは、魏晋南北朝でそういった高度な包囲戦を成功させた名将達の采配を振り返る。3回目は北魏の拓跋珪による柴壁の戦いを取り上げる。北魏と後秦の盛衰を分けた戦いとして有名だが、合戦の詳細を調べると非常に面白い。 西暦402年5月、後秦の姚興は北魏の河東エリアに攻撃を仕掛けた。局地戦になることを想定したのか、姚緒・姚碩徳といった歴戦の叔父達や自身は出馬せず、弟の姚平に兵4...
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