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姚弋仲 その1 石虎への直言
石虎への直言五胡十六国時代において後秦の基礎を築いた姚弋仲、彼に関して大好きなエピソードがある。梁犢が反乱を起こし、その勢いを恐れた後趙の石虎は、首都の鄴に姚弋仲を招集した。石虎は重病で面会できなかったので、飲食を与えて労おうとした。それに対して姚弋仲は怒り、「私は賊を討つために来たのであって、食事をねだりに来たのではない、主上の容態がわからない、一目でも会わせてもらえるなら死んでも恨まない」と言った。左右の者は姚弋仲を石虎に引見させた。そこで姚弋仲は石虎に言った、「子供... -
五胡十六国ドリームマッチ その2 石勒 VS 祖逖
石勒の紹介はその1でやったので省略。奴隷から身を立てて、五胡十六国序盤に華北をほぼ掌握した大英雄。 祖逖の紹介祖逖は幽州范陽郡の名族出身で、最初は書物を軽視して武侠に勤しむなど将来を危惧されたが、その後は学問に精励し、中央政界でも期待の若手として将来を嘱望された。しかしながら、西晋は混乱期を迎え祖逖が活躍するための舞台を用意できなかった。祖逖は江南の可能性をいち早く見出し、司馬睿の下に属した。覇気盛んな祖逖は、晋としての本領を取り戻すべく北伐軍を起こすよう申請したが、東晋と... -
五胡十六国ドリームマッチ その1 石勒 VS 劉曜
石勒の紹介石勒は匈奴系の羯族出身で、西晋の司馬騰(司馬越の弟)勢力下で奴隷にされたところから、華北の覇者となった。五胡十六国のメインプレーヤーの一人であり、彼の足跡を辿ることで五胡十六国序盤の動きは大体わかるといっても過言ではない。八王の乱において司馬穎陣営に身を投じ、そののち匈奴漢に属した。中華各地で大暴れし、司馬越病死後の残党10万人を惨殺するなど西晋滅亡に大きく関わった。三国志の曹操に勝るとも劣らない実績を残した彼だが、実は戦争に結構負けている。そんな中でも滅亡するこ...
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