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英雄達に抵抗した氐族苻氏 前編 慕容垂と苻丕
淝水の戦いで前秦が崩壊した後、華北を牽引したのは慕容垂と姚萇である。だが、彼ら2人の前には氐族苻氏が立ちふさがった。五胡を代表する英雄達を前に、華北の主導権を失った苻氏はどのように抵抗したのだろうか。資治通鑑で時系列を追ってみることにした。前編は慕容垂に対する苻丕の抵抗を取り上げる。前秦・後燕に関わる記述を主に抜粋したが、翟魏・西燕など周辺勢力の記述、東晋・北魏など天下の趨勢に関わる記述も適宜取り上げている。長文となった。年は西暦に置き換えたが、月は旧暦のままとする。 383年... -
前燕征服時に見られた前秦崩壊の兆し
郝晷と梁琛前燕からの使者として、郝晷と梁琛が相次いで前秦に行った。郝晷は燕を見限ってその内情を詳しく話したが、梁琛は慕容評と慕容垂が偉いと当時の共通認識を述べただけで、自国のウィークポイントを決して洩らさなかった。燕帰国後の梁琛は、苻堅と王猛が人傑であることを主張し、秦による侵攻の可能性を警告したが、朝廷から疎まれ、逆に投獄されてしまった。燕滅亡後に梁琛と対面した苻堅は、「燕国の危機の兆しを見極めず、燕国の善良さを偽って主張し、忠誠心が身を守るどころか、かえって災いを招い... -
五胡十六国ドリームマッチ その5 慕容垂 VS 拓跋珪
慕容垂の紹介前半生はその4でやった。前燕で居場所がなくなったので前秦に亡命した。苻堅に重用された慕容垂だが、前秦が淝水で敗北して崩壊すると苻堅を長安に護送したのちに関東(函谷関より東側)で自立した。苻丕の占拠する鄴の攻略には手間取ったものの、やがて慕容垂の後燕は関東を代表する勢力としての地位を確立していった。 拓跋珪の紹介拓跋珪は鮮卑拓跋部の国家である代の王族だったが、代は前秦・匈奴鉄弗部により滅ぼされた。しばらく匈奴独狐部の劉庫仁に庇護されていたが、部族長が息子の劉顕に代... -
五胡十六国ドリームマッチ その4 慕容垂 VS 桓温
慕容垂の紹介慕容垂は前燕の初代王慕容皝の5男で、当初慕容覇と名乗っていたが、落馬して歯が折れたことから慕容缺、その後慕容垂に改名させられた(改名させたのは兄慕容儁、かつて慕容垂は前燕の太子候補であり、慕容儁との確執があった)。高句麗・宇文部・冉魏など各戦線に従軍したあと、前燕の洛陽奪取にも貢献した。五胡十六国を代表する名将・名宰相の慕容恪が軍務・政務ともに自分の10倍の才を持つと評価した慕容垂だったが、慕容儁とその子慕容暐からは冷遇され、慕容恪死後に前燕での居場所を失いつつあっ...
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