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褚蒜子と司馬昱 東晋の前期と中期を結ぶミッシングリンク
金民壽 「桓温から謝安に至る東晋中期の政治」を読んだことが、記事作成のきっかけとなった。東晋中期の政治は未発掘の部分が多いと感じる。そして、だからこそ挑戦しがいのあるテーマだとも思う。 東晋を代表する名族として、琅邪王氏と陳郡謝氏の2氏族がよく挙げられる。しかしながら、これは東晋をより高い解像度で理解する妨げとなる。東晋の前期を主導したのは琅邪王氏と潁川庾氏であり、東晋中期の主役は譙郡桓氏と陳郡謝氏だからである。前述の2氏族のみにフォーカスすることは、東晋の実像を歪めることに... -
五胡十六国ドリームマッチ その4 慕容垂 VS 桓温
慕容垂の紹介慕容垂は前燕の初代王慕容皝の5男で、当初慕容覇と名乗っていたが、落馬して歯が折れたことから慕容缺、その後慕容垂に改名させられた(改名させたのは兄慕容儁、かつて慕容垂は前燕の太子候補であり、慕容儁との確執があった)。高句麗・宇文部・冉魏など各戦線に従軍したあと、前燕の洛陽奪取にも貢献した。五胡十六国を代表する名将・名宰相の慕容恪が軍務・政務ともに自分の10倍の才を持つと評価した慕容垂だったが、慕容儁とその子慕容暐からは冷遇され、慕容恪死後に前燕での居場所を失いつつあっ... -
五胡十六国ドリームマッチ その2 石勒 VS 祖逖
石勒の紹介はその1でやったので省略。奴隷から身を立てて、五胡十六国序盤に華北をほぼ掌握した大英雄。 祖逖の紹介祖逖は幽州范陽郡の名族出身で、最初は書物を軽視して武侠に勤しむなど将来を危惧されたが、その後は学問に精励し、中央政界でも期待の若手として将来を嘱望された。しかしながら、西晋は混乱期を迎え祖逖が活躍するための舞台を用意できなかった。祖逖は江南の可能性をいち早く見出し、司馬睿の下に属した。覇気盛んな祖逖は、晋としての本領を取り戻すべく北伐軍を起こすよう申請したが、東晋と...
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