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西暦493年以後 その2 北魏で何が起こったのか
西暦493年(南朝斉の永明十一年・北魏の太和十七年)以後しばらく、南北両朝で重大な出来事が集中して起こっているにもかかわらず、あまり注目されていないようだ。北魏での動きを追ってみた。ある程度割愛したものの資治通鑑をベースにした長文である。月は旧暦、年齢は数え年とした。 493年1月、南朝宋から亡命した劉昶は、泣きながら雪辱戦を乞うた。拓跋宏(孝文帝、高祖)は南伐について公卿と会議した。 2月、拓跋宏は平城の南で藉田を耕した。藉田とは中華において行われた皇帝による農耕儀式であるが、北... -
中国史のダイナミズムを理解する上で地理的背景は欠かせない
歴代中国王朝の首都として有名な洛陽と長安。併記されることも多いが、両者の有する機能は大きく異なった。端的に言えば、洛陽が商都であったのに対し、長安は軍都であったのだ。 中国史におけるダイナミズムの原点は、最も豊かな土地と最も軍事的に優れた土地が異なるということに尽きる。 最も豊かな土地とは、中原であった。中原とは、黄河中下流の南方に広がる平原で、現在の河南省付近を指す。中原は黄河文明の黎明地であった。黄河を利用した灌漑農業の余剰生産力により、生命維持に関わらない領域にリソー...
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